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身体の想像力01/04/06

”他人と一緒に食事をすると言うのは、楽しいだけではなく想像力を養うことになる。 見える光景、響き渡る音、あたりに漂う匂い、あるいは空気の寒暖。それらはそ こに居合わせる者が同時に感じる。そして体験を共有してることを互いに表情で すぐに確認する。

味覚の場合はそうはいかない。食べ物は口に含む。口の中でつまり身体のな いぶで、じっくり味わう。だから他人のそれはおぼろげにしかわからない。他人 が舌や喉で感じているその味は胃は想像力をはたらかせないと、なかなか共有で きない・・・ ・・・(略)他人の思いや感情のへの想像力は、このように共に食べる中で育まれていく。他 人への思い、それはこういう食事の席で養われるのだ。”

悲鳴をあげる身体

「悲鳴をあげる身体」鷲田清一著より

情緒的な文章だけどこの先生って好きなの。ということで、人と共に食べると言うことはかありの精神力?いや、違った、想像力がいるんだって。そういえば、独りでものを食べるときってなんか、欠けてるような気がするのは私だけ。私は独りでごはんを食べるときはペースがつかめないのでとっても不安な気分になるんだよねー。以外とそういうときは、本当に簡素だったり、抜いてたり、食に集中しないで燃料を補給してたりするんだけど。

彼が言いたかったのは味覚という隠れた触覚についての意見なのだろうけど、味覚は隠れているようだが、隠れてはいない。美味しいときの顔や、不味いときの表情で想像力よりもビジュアルでわかったりすることもあるんじゃないのー?って思うけどね。

形容詞のワックス

01/02/17

みなさんも経験があると思うけど、外国語を勉強すると日本語でも今まで知らな かった文法の言葉を強く感じることがあります。 フランス語の場合は結構めんどうで、接続詞とか、代動詞とかややこしい話がいっ ぱい出てくるけど、形容詞と言う言葉さえ日本語では訳もなく使ってるから形容詞を形容詞と感じることは少ないのではないでしょうか?

例えば

リフレッシュするワイン

偉大なワイン

というのも、すべて形容詞(形容動詞)がワインを飾っているのです。 ふむ(-_-;) というのは、別に今日は文法のことを書きたいのではなくてワインの形容詞につ いて書きたいのです。

みなさんもご存じの通り、ワインの形容詞はかなり限られています。獣のような、 ラズベリーの香りがする、太った、オイリー、香りのふくらむ、女性らしい・・ など、ワインに対する形容詞はさまざまです。 もちろん単なるワインですから形容詞は限られているのは確かです。

でも、考え てみてください。例えば、女性らしいワイン。。と誰かが言ったとき、書いたと きに、あなたはどのような女性を想像するのでしょうか?恋人?奥さん?それと もお母さん? 女性でも世の中にはいろんな種類の女性がいます。分からないけど世界の半分は 女性で女性の中でも、美人もいれば、ブスもいれば、頭の良いのもいれば、頭は 悪いけどかわいい女性いっぱいいます。人の数だけ女性には個性があり、彼女た ちの良さがあります。女優でも例えば、マドンナ、ドヌーブ、キャロルブーケ、 グレース・ジョーンズ、岩下志摩、三田佳子、宝塚の人。。。とにかく女優はい ろんな種類の人間がいろんな役割を果たしているように、ワインの形容詞ももっ と自由に使ってはどうでしょうか?

私はいろんなワイン本を買って読んだり、立ち読みしたりして、日本語で書かれ た本、果ては英語やフランス語でも書かれた本を読んでいますが、どうも形容詞 の使い方が限定されているようでいつも残念に思います。今なお新刊の本を取っ てみても同じ教科書の繰り返しで、買う気さえ失せてしまいます。 それは、ワインライター達の今までの功罪なのでしょう。決して誉められたこと ではありません。形容詞を自由に使えない不自由さは足かせをされた囚人と同じ です。(ということで私はすべての形容詞を無視した本を今度出します!お楽しみに!買ってね!)

これはファッションライターも同じで、同じ雑誌を1年間購読すれば全く 同じ形容詞が何回も出てくることに気付いてる人も多いでしょう。 だから、ワイン雑誌は1年間だけまじめに読めばだいたい分かります。ですから 2年目からは購読は必要ないでしょう。パーカーポイントだけで充分です。彼は 自分の肝臓を犠牲にしてテースティングしてるわけですから、偉大です。悪口を 言われようとも彼の仕事は仕事なのだから。

つまり私が言いたいことは「形容詞から解放されよう」ということ。(^-^)

例えば、ワインの形容詞とダンスの形容詞が入れ替わったらどうでしょうか?鳥 のように軽やかなステップ、じゃ、医学用語なら、免疫には耐えられないほどの強烈な悪玉菌?とか、音楽なら、躍動感と緻密さのハーモニーだとか、なんでも良いんです。じゃ、もっと生活くさい形容詞なら?「別れてからも思いだすようワイン」「恋に堕ちそうなワイン」・??

そ、気がついた? それはワインだけではなくもっと別のことで使っても良いんです。どうせ人間の使う言葉なんて限られているのですから。それをわざわざもっと狭くする必要はありません。最近思うのが、現代美術にし ろ古典芸術にしろ、美術館の人の言ってる言葉は、単なる記号。美術館なんて、 散歩しながら見るところなのに、こないだグッゲンハイムのポラックの前で、し げしげとむずかしそうな顔で考え込んでる人を見ると、ちょっと笑ってしまいま した。 彼は彼の生きた時代を表現しただけなのです。現代美術か難しいなんてことだって全然ないのです。それに気付いてから、私は美術館ではいつもくだらないことばかりを見つけては楽しんでいます。(邪道ってかー?)

そう、形容詞にまどわされないでワインを楽しみましょう。(ってーいいながら、 私が一番形容詞をワインにつけてるこのパラドックス? (^_^;))

でも形容詞に解放され時が一番ワインを楽しむ近道 であり、心が豊かになると言うこと。 ひとつの参考として形容詞を見るのは良いことですが、すべての形容詞を取り払ったときに、自由になれることが最近よく分かってきました。

petit prince 大事なことは目に見えない 心の目で見るんだよ

大好きなサンディグジュペリの言葉。 どんなものでもそう。あなたの横の恋人だって目に見えてるうちは全然見えてな いものだから。(^-^)形容詞のワックスを落としたときに本当の姿が見えるのです。

みなさんはどうお感じ?あたりまえのことをあたりまえに語る私。そんなのプロっていわないか。。。(-_-;)いろいろご意見ございましたら、こちらのMLまで!

Gros bisous

Ri

(^-^)